netpoyo広報ブログ

ネット文化を探求する同人サークルnetpoyoの広報ブログです。

メディアとコンテンツの間を作る――ねとぽよが今ウェブメディアをやる理由

【klov】

先日、POYO NET(http://news.netpoyo.jp/)というウェブメディアをリリースしました。僕はディレクション――要はデザイナとエンジニアがやる仕事以外の雑用のすべて――をしたのですが、その狙いというか、なぜウェブでメディアをやることにしたのかを書いておきたいと思います。

今手元に、古本屋で見つけた『別冊宝島 インターネットの激震』があります。

1996年のasahi.comのキャプチャ画像が載っている号です。今当時のウェブサイトを見ると、さすがに時代を感じさせるものがあります。しかしそれは単に当時の技術的な要件――ディスプレイの解像度や、回線の遅さ――に従った結果です。そしてそれ以外の部分――メディアのUI――は、今もあまり変わっていません。画面上部のヘッダに配置されたロゴ、ヘッダ周りにあるカテゴリナビゲーション……などなど。

なぜでしょうか?

日本におけるインターネットの黎明期に、Webに関わっていたのは国や大学、ごく一部のメディア企業でした。Webが紙に変わるインタラクティブメディアとして喧伝されたのも、その頃です。当時海の物とも山の物ともつかないWebにコンテンツを出そうという企業は、そう多くはありません。結局、最初に展開していた新聞社系のメディアのUIが、その後のメディアUIのベースになりました。

しかし、それは新聞的な、細かい粒度の記事が数多く並ぶメディアに適したUIです。雑誌的な連載コンテンツに向かないので、連続した内容を長期にわたって書くのも難しい。また文化面も継承しており、書き手の名前が前面にあまり出ません。またそのため、ウェブメディアにおいて書き手の存在感は低下し、代わりに台頭したブログメディアも、そこで名を上げた後のイグジット先が無いままです。マネタイズも、技術が発展したとはいえ基本的には広告モデルから脱していません。

結果、メディアと読み手の間には、個々のコンテンツ一枚しか存在しない状態が続きました。読み手が触れるのはその都度目に入ってきた単発のコンテンツだけ。さらに、あっちで稼いだビューもこっちで稼いだビューも広告価値は似たようなもの。であれば、「バズったもの勝ち」の一発狙いなコンテンツが溢れるのは必然です。

集めたビュー(PV)をどうお金にするのか、書き手のモチベーションはどう維持するのか、コンテンツに「本当に」あったUIとは何か。10年前の問題は5年後に持ち越され、5年前の問題は今に持ち越されています。とはいえ、すでに大量のコンテンツを抱えているメディアにとって、仕組みを変えることはリスキーです。時間はウェブの技術を進化させましたが、一方でコンテンツを捨てがたいレガシーにしてしまいました。

ではどうすればいいのか?

新しいメディアを作ることです。そこで必要なのは、単に目立つ突飛なデザインでもなく、海外メディアの真似でもなく、読み手と書き手の間に横たわるエコシステムに根ざした、一貫した思想です。メディアとコンテンツの間に、レーベル的な中間概念や、書き手の存在をきちんと挟むことが必要です。

POYO NET は、そうした中間概念を実装しています。POYO NETには「ソーシャルゲーム特集」「女の子ウェブの秘密に迫る!」といった「コーナー」が存在します。「マンガ」「音楽」などといったカテゴリは、単なる情報整理のための分類ですが、コーナーは内容のゆるい連続性を担保します。一方で、連載記事とは異なり、書き手とコーナーは一対一の対応をしていません。ねとぽよは広告を貼ったりする予定は今のところないので、個人に利益は渡りませんが、ある程度得意な分野をコーナー横断的に書きつつ、本誌では単なるテキストに還元できない企画に携わります。

メディアとコンテンツの間に、ゆるい中間概念を作ること。そしてそれが新しい文化の発見につながっていくこと。そうしたことを目指しながら、POYO NETは今後大きくなっていく予定です。お楽しみに。